谷川 真理 (たにがわ まり)
| ■PROFILE |
| 出身地:福岡県福岡市 座右の銘:忍耐は苦しいけれどもその実は甘い 趣味:クッキング |
| ■主な経歴 | |
| 1988年 | 名古屋国際女子マラソン 3時間00分58秒 36位 初マラソン |
| 1989年 | 大阪国際女子マラソン 2時間49分02秒 22位 |
| ボストンマラソン 2時間46分11秒 14位 | |
| 東京国際女子マラソン 2時間43分04秒 11位 | |
| 1990年 | 名古屋国際女子マラソン 2時間37分30秒 5位 |
| 東京国際女子マラソン 2時間34分10秒 3位 日本人1位 | |
| 1991年 | ロンドンマラソン 2時間33分16秒 14位 |
| 東京国際女子マラソン 2時間31分27秒 優勝 初優勝 | |
| 1992年 | 名古屋国際女子マラソン 2時間31分09秒 2位 |
| ゴールドコーストマラソン 2時間35分38秒 優勝 | |
| 東京国際女子マラソン 2時間33分57秒 6位 | |
| 1993年 | 名古屋国際女子マラソン 2時間34分15秒 14位 |
| 東京国際女子マラソン 2時間28分22秒 2位 日本人コースレコード | |
| 1994年 | パリ国際マラソン 2時間27分55秒 優勝 大会新記録 |
| 東京国際女子マラソン 2時間34分31秒 7位 | |
| 1995年 | ボストンマラソン 2時間31分48秒 7位 |
| 1996年 | 名古屋国際女子マラソン 2時間35分36秒 22位 |
| 東京国際女子マラソン 2時間40分22秒 12位 | |
| ホノルルマラソン 2時間36分20秒 3位 | |
| 1997年 | 東京国際女子マラソン 2時間37分45秒 16位 |
| 1998年 | マウイマラソン 2時間40分00秒 優勝 |
| 北海道マラソン 2時間36分15秒 6位 | |
| 東京国際女子マラソン 2時間35分24秒 特別参加 | |
| ホノルルマラソン 2時間39分03秒 4位 | |
| 1999年 | 大阪泉州マラソン 2時間40分24秒 優勝 |
| マウイマラソン 2時間46分13秒 優勝 | |
| 北海道マラソン 2時間45分44秒 11位 | |
| 大阪・淀川市民マラソン 2時間39分30秒 優勝 | |
| ホノルルマラソン 2時間41分54秒 4位 |
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| ※ランニングは24歳、OL時代の昼休みに会社の同僚とお花見に行き、皇居周辺のジョガーを見た翌日から走り始めた。1991年 東京国際女子マラソンで初優勝を果たし、トップランナーの仲間入り。 |
| ■主な受賞歴 |
| 平成4年 東京都都民文化栄誉賞受賞 |
| ■主なメディア活動歴 |
| ● 著書 「谷川真理のランニングフィットネス」(学習研究社) 「走って食べてヘルシーライフ!」(PHP研究所) 「マラソン完走ブック」(成美堂出版) ●ビデオ 谷川真理のランニングバイブル ●映画 「チルソクの夏」 ●2002年1月、ハイテクスポーツ塾開校 ※ランナーだけでなくタレントとしても活躍中 |
| ■主な社会貢献活動 |
| ・ 1998年2月対人地雷除去作業で片足を失ったランナークリス・ムーン氏の伴走を務める ・ 地雷廃棄工場建設地(比叡山)でクリス・ムーン氏と70kmを走る ・ 谷川真理ハーフマラソン大会開催 「地雷ではなく花をください」をテーマに、基金400万円を集める ・ 「難民を助ける会」に協力、現地へ毛布を届ける為のチャリティー活動展開中 難民を助ける会情報 URL: http://www.aarjapan.gr.jp ・ 知的障害者と走る活動を継続中 ・ 2002年 社会貢献活動の一環としてパキスタンへ ・ スポーツ振興投票助成審議委員 ・ 江戸開府400年記念事業実行委員 ・ テレビ放送番組審議委員 |
| ■講演テーマ |
| 『夢・・・「1億2千万人総ランナー」 ~多くの人に走る楽しさを伝えたい~』 ジョギングを始めたのは24歳の春だった。 翌年の初マラソンを3時間で走り、それから3年後の東京国際女子マラソンに優勝して、 彼女の名前は世界に知れわたった。 高校時代は無名の中距離選手。25歳で初マラソンを走り、30歳前後に数々の好成績を挙げた。30歳を過ぎてオリンピック候補となった谷川真理は、日本女 子マラソン選手の中では遅咲きと言われる。しかし当人は、「マラソンは心身ともに大人でないと長続きしない」と言う。42キロを走れる体はじっくり作らな くてはならない。マラソンは1つのレースに向けて、少なくても3ヶ月は準備にかかる。だから長い目で自分の競技生活を見つめ、自身をコントロールできる力 が必要なのだ。 「私が長く走ってこれたのは、基本的に季節を感じながら走ることが好きだから・・。それと、個人の生活拠点をもって、自分に合ったペースで競技生活を組み 立てられたことが大きい」と谷川は感じている。 24歳の春、OLの谷川真理は皇居で花見をしながら、傍らを走り抜けていく市民ランナーの姿に魅せられていた。「高校時代、走ることは苦しいだけだった。 なのに、この人達は気持ちよく楽しそうだ。自分も風を切ってさっそうと走ってみたい」と思った。翌日から毎日、会社の昼休みに皇居に走り出た。多くの市民 ランナーがランニングの魅力として挙げる、走りながら季節を感じる喜び、自ら課した目標をクリアしていく楽しさを知った。以来、人生が変わってしまった。 走り始めて4ヵ月後、皇居で練習する市民ランナーの強豪が集まる走友会、北の丸ACに入会。そこで、彼女のその後の人生を大きく変える、現コーチの中島と出会った。 中島から「マラソンはトレーニング次第。人より長く走れば、それだけ走れる体になる。今からでも必ず強くなれる」と言われ、その言葉に触発されて谷川はマ ラソンを走ってみたくなった。それからは毎週土日、北の丸ACのメンバーと一緒に長野県蓼科高原で、連日50キロ走るトレーニングが始まった。当時、実業 団の女子マラソン選手でも、谷川ほど練習で長い距離を走る選手はいなかった。 中島は30歳から走り始めた市民ランナー。「谷川はみんなに育ててもらったんです。僕はまったくの素人だから、彼女のトレーニング方法について、積極的に まわりにアドバイスを求めてきました。特に東京大学の先生方による最先端のスポーツ科学に基づいた指導があったから、市民ランナーでもあそこまでいけた。 僕らはいつも、申し訳ないほど周りに恵まれてきました」。中島はそう語る。 谷川は現在、東京大学の小林寛道教授に協力を頂き、千代田区神田神保町に「ハイテクスポーツ塾」を開校している。谷川も自ら多くの走りの好きなランナーを 指導している。小林教授は、谷川真理の「1億2千万人総ランナー」という思いに共感を持たれ、これまで東京大学と一部のトップ選手にだけ使用してきたト レーニングマシン『カンド君』と『マリノ』を、一般の方にも広く使って欲しいと開放して下さった。谷川自身も、カンド君の1号機が完成したときに最初に使 用した一人だった。 こうして多くの人に支えられ、谷川のいまがある。 |
| ■講演会演題例 |
| 「忍耐は苦しいけれどもその実は甘い」 「走って、食べて、ヘルシーライフ」 |
















