コラム
「好きが原動力」荒木絵里香が語る挑戦と成長のバレーボール人生

日本女子バレーボール界を長年けん引し、代表として4度のオリンピックに出場した荒木絵里香さん。その確かな技術と冷静な判断力、そしてチームをまとめるリーダーシップで、多くのファンや後輩選手たちから支持を集めてきました。
本記事では、荒木絵里香さんへのインタビューを通じて、これまでのキャリアやバレーボールとの出会い、競技人生での転機、そして母となってからの競技との向き合い方、引退後の活動などを紐解いていきます。
【荒木絵里香】プロフィール・経歴
1984年8月3日生まれ、岡山県倉敷市出身の元女子バレーボール選手。身長186cmのセンタープレーヤーとして長年にわたり日本代表を支え、4度のオリンピック出場を果たしました。体育教師の母とラグビー経験者の父のもとに育ち、スポーツに親しんだ幼少期を経て、成徳学園高校(現・下北沢成徳)で高校三冠を達成。
2003年に東レアローズへ入団し、すぐに頭角を現します。2006年頃から日本代表でレギュラーを獲得し、2008年北京五輪に初出場。2012年ロンドン五輪では主将として日本女子28年ぶりの銅メダル獲得に貢献しました。出産後に現役復帰を果たし、2021年東京五輪まで第一線で活躍。
2021年に引退後はトヨタ車体クインシーズ(現・クインシーズ刈谷)のスタッフとしてチーム運営に携わっています。2022年には早稲田大学大学院でスポーツ科学を学び、2023年に修士課程を修了。現在はSVリーグ、日本バレーボール協会の理事として競技発展にも尽力しています。
バレーボールとの出会い
トップ選手として第一線を走り続けてきた荒木絵里香さん。
しかしそのスタートは、意外にも“バスケットボールへの憧れ”から始まっていました。
ここからは、荒木さんの歩んできた道を、ご本人の言葉でたどっていきます。
-まず、バレーボールとの出会いについて教えてください。
始めたのは小学生のときです。バレーを始める前に水泳や陸上をやっていましたが、身長が高いこともあり、母から「バレーをやってみたら?」って勧められたのがきっかけです。私自身は実は「スラムダンク」に憧れていて、バスケに興味があったんですが、最初にバレーボールと出会ったので、身長を活かせると思ったし、バレーボールを始めました。
-意外な入口ですね。
ただ、最初に入ったバレーのクラブがすごく厳しくて、指導方針が合わなくて毎日泣いてました…。両親もその様子を見て驚いて、「これは続けさせられない」と辞めさせられたんです。
-それでもバレーを続けた理由は?
両親が地元の小学校にバレー部を立ち上げてくれたんです。今思えば本当にすごいことですよね。そこでのびのびとプレーできたことが、「バレーって楽しい」って心から思えるようになったきっかけです。
-卒業文集に「バレー選手になりたい」って書いたんですよね?
はい。その時の思いは今でも大切にしています。身長が高いことは当時コンプレックスでもありました。でも、バレーを通じてそれが強みになるって実感したんです。自分を肯定できるようになりました。
競技人生での転機
-バレー人生の中で、転機となるような出来事はありましたか?
高校、実業団と進むなかで、練習環境が大きく変わりました。とても厳しい環境でしたが、同時にやりがいがあって、バレーが本当に好きなんだって気づきました。「やらなきゃ」じゃなくて、「やりたいからやる」。
-「初期衝動」みたいなものですね。
そうです。必死になってボールを追いかけるのが楽しい。できなかったことができるようになること、上手くなっていく過程がとにかく楽しい。そんな純粋な気持ちが、結局ずっとモチベーションになっていたと思います。
-長年続けられたのも、その「好き」があったからこそ?
まさにそれですね。誰かにやらされてる感覚は一度もなかった。「自分がやりたいからやってる」、それだけです。
リーダーとは「一番チームが好きな人」
-代表チームでキャプテンを務めた経験もありますが、ご自身ではどう受け止めていますか?
正直、私はキャプテンタイプじゃないと思っていました。みんなを引っ張るタイプではないので、「私でいいのかな」と。でも、やるからには全力で向き合うしかないと思いました。
-その中で見えてきた「自分なりのリーダー像」はありましたか?
これまでに出会ってきたキャプテンはみんなタイプが違ったけれど、「一番チームが好きな人」という共通点に気づいたんです。
そして、先頭に立って引っ張るリーダーではなく、チームの輪の中心にいてみんなの力を引き出せるようなリーダーであろうと思うようになりました。
-ロンドン五輪の銅メダルも、その信頼関係の上にあったように感じます。
あの時はチーム全体が輪になっていて、個々が自立しながらも信じ合えていた。だからこそ、メダルが獲れたんだと思います。
母になってからの競技との向き合い方
-お子さんを育てながら競技を続けるという選択、大変だったのでは?
迷いはありました。でも「迷ったらワクワクする方を選ぶ」が私のモットーで、復帰はまさにワクワクの道だったんですよね。
-「元の自分に戻る」のではなく「新しい自分になる」という意識だったと。
そうです。出産後は体も変わって思うように動かないけど、その変化をネガティブに捉えるんじゃなくて、「どう進化できるか」を考えるようにしていました。
-お子さんの存在が、競技人生にポジティブな影響を?
はい。気持ちの切り替えが本当に上手になりましたし、チャレンジする背中を子どもに見せることも大切だと思っています。
引退後の活動について
-今はどんな活動をされているんですか?
指導者になることも視野に入れてコーチライセンスを取得中です。それと、英語も勉強中です。現役時代からずっと苦手だったんですが、やっぱり伝えるためには必要だと感じて。
-「コンプレックスを強みに変える」という姿勢は、ずっと一貫していますね。
ありがとうございます(笑)。「話せない自分がイヤだったけど、今は「伝えたいこと」があるから頑張れる。自分の経験や価値観を、言葉にしてちゃんと届けたいんです。
-今後、バレーやスポーツ界とどう関わっていきたいですか?
常に挑戦は続けていきたいです。自分の経験や生き方を、次の世代に渡していくこと。それが今の私の役割だと思っています。
-最後に、何かに挑戦したいけど迷っている方へメッセージをお願いします。
「迷ったら、ワクワクする方を選ぶ」。そして、「選んだ道を正解にする」。チャレンジって、やっぱり楽しいものです。失敗は“成長の途中”ですから。
CaSpo出演実績
荒木絵里香さんは、バレーボールの普及活動や、講演なども行っており、CaSpoを通じた出演実績もございます。
講演活動ではチームビルディングをテーマに、社内決起会や教育委員会の研修会などで登壇。自らのキャリアとチームビルディングの経験をベースに、リーダーシップやマインドセット、モチベーション管理などについて語っています。
また、初心者向けの体験教室、東京都のスポーツ推進企業プログラムなどでも積極的に活動しており、スポーツを通じた地域活性化や健康づくりにも貢献しています。
セルフマネジメントやリーダーシップ、挑戦・多様性・メンタルヘルスなどで、スポーツを軸とした幅広いテーマでの登壇・出演が可能で、広告出演やメディア出演、執筆依頼なども対応可能です。
まとめ
荒木絵里香さんは、「好き」という想いを原動力に、4度の五輪出場、主将としての銅メダル獲得、出産後の現役復帰など、常に挑戦を続けてきました。
自身の経験を通じて導き出したリーダー像や、母としての視点、引退後も学び続ける姿勢は、スポーツ界を超えて多くの人の共感と尊敬を集めています。今後もその言葉と行動で、次世代に影響を与える存在であり続けるでしょう。